合理的交渉の基礎知識: バトナ(BATNA)

日本で「交渉術」というと、赤いネクタイを着けて行く、出身地など共通点を見つけて共感を演出するといった、話し合いをするその場での技術論がほとんどです。
しかし、留学先のビジネススクール(MBAコース)で受けた交渉の授業では、話し合いの席に着くまでの準備の大切さが強調されました。その中でもBATNA(バトナ)という概念がとても重要なので概要と、参考文献を紹介します。

バトナって何?

Best Alternative To a Negotiated Agreementの略で、「交渉に合意することに次ぐ、最善の選択肢」という意味です。要するに、「交渉が決裂したときに、自分が取れる最善の選択肢」です。「不調時代替案」と訳している本もあります。このバトナを交渉前に考えて、バトナ以下の条件では合意しないようにすることが非常に重要です。
Web上にある解説としては、交渉学講座というサイトにあるものが分かりやすいと思います。
たとえば受託開発の引き合いがあった場合、バトナとしては、以下のようなものが考えられます。

  • 他の案件を探す(すでに引き合いが来ているか、まったくの新規開拓かで難しさは違いますが)
  • 自主サービスの開発を行なう

状況によっては、業態転換する、廃業する、といったもう少し極端な選択肢もありえますが、いずれにしても自分にとって最善の選択肢を、具体的に考えておくようにします。交渉前にこれをしておくと、「こんなの引き受けなければ良かった」とあとから思うような案件を受注してしまうことを防げます。
さらに、交渉相手のバトナも、こちらは想像しかできませんが、よく考えておきます。自分にとって、より納得しやすい合意に結び付けられるようになります。

"Win-win or No Deal"

「7つの習慣」という本に"Win-win or No Deal"(Win-winでなければ、合意しない)という言葉があります。これは実は特別なことではなく、交渉当事者の両方が合理的であれば当たり前のことです。
合理的交渉者は「バトナより良い条件でなければ合意しない」と考えています(合意するメリットがないので)。つまり多少なりともWinがなければ合意しません。交渉当事者の両方が同じことを考えれば、結果的に両方がWinにならなければ、合意は成立しないことになります。

バトナの説明が載っている本

以前から、知り合いにこのような合理的交渉技法を紹介しようと思って、交渉の本を探しているのですが、なかなかぴったりなものが見つかりません。そもそも、英語書籍ではもはや当然の用語になっているバトナを取り上げているものが少ないのが実情です。
まだ絶対のおすすめと言えるものは見つかっていないのですが、調べた経過を紹介します。

実践!交渉学(ちくま新書)

(記事公開後、2013/12/15追記)
さきほど紹介した「交渉学講座」というサイトを運営する松浦正浩氏の本。配分型・統合型、BATNA、ZOPAといった交渉学の基礎が、最初の1,2章に簡潔にまとまっています。現状でどれか1冊選ぶとしたら、この本をお勧めします。

実践!交渉学 いかに合意形成を図るか (ちくま新書)

実践!交渉学 いかに合意形成を図るか (ちくま新書)

まえがきなどで何度も「交渉"術"ではなく、交渉"学"に関する書籍である」と書かれている通り、合理的交渉学の入門になっています。

武器としての交渉思考(星海社新書)

法学研究者として交渉の研究をしてから実業に転じた著者が、現在京都大学で教えている交渉学の内容を簡単にまとめた本です。

武器としての交渉思考 (星海社新書)

武器としての交渉思考 (星海社新書)

想定読者が大学生から若手社会人に設定されているように見えるので、社会人経験が十分ある人にはちょっと冗長な気はしますが、BATNAなどの合理的交渉に関する基礎知識を踏まえつつ、現実に応用するためのノウハウが豊富なので、「明日、交渉があるけどどうしよう」みたいなときにはいいです。
なお、この本にはさきほど述べた"Win-win or No Deal"と似た内容が書かれています。

ビジネスというのは本来、取引が成立したらすべて「ウィンウィン」であるべきです。交渉が合意したということは、お互いにとって納得いく結果になったということですから、むしろウィンウィンでなければなりません。
(p.167)

ハーバード・ビジネス・エッセンシャルズ「交渉力」

「1. 交渉の種類」「2. 4つのコンセプト(バトナを含む)」といった章立てで、教科書的に簡潔に書かれています。自分としては一番のお勧めですが、残念なことに翻訳版は絶版になっているようで、中古でしか入手できません。

ハーバード・ビジネス・エッセンシャルズ〈5〉交渉力 (ハーバード・ビジネス・エッセンシャルズ 5)

ハーバード・ビジネス・エッセンシャルズ〈5〉交渉力 (ハーバード・ビジネス・エッセンシャルズ 5)

  • 作者: ハーバードビジネススクールプレス,マイケルワトキンス,Michael Watkins,岡村桂
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2003/09
  • メディア: 単行本
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ただ、それほど分量が多くなく、必要なところだけ読むタイプの本なので、英語版でも良いと思います(私は両方持ってます)。
Negotiation (Harvard Business Essentials) (English Edition)

Negotiation (Harvard Business Essentials) (English Edition)

Getting to Yes

原書は1981年にアメリカで出版され、それまでの交渉の常識を大きく変えたようです(それまではアメリカでも、奪い合い的交渉が幅を利かせていたらしい)。
副題を含むタイトルが「譲ることなく、Yesに至る方法」といった意味なので、威圧したりおだてたりする方法の本のようですが、そうではなく非常に合理的な内容になっています。章立ては「1. 表面的な条件を交渉するのは止めよう」「2. 人間と問題とを分けて考えよう」といった感じで、豊富な例を用いて語りかける文体で書かれています。

Getting to Yes: Negotiating Agreement Without Giving In

Getting to Yes: Negotiating Agreement Without Giving In

  • 作者: Roger Fisher,William L. Ury,Bruce Patton
  • 出版社/メーカー: Penguin Books
  • 発売日: 2011/05/03
  • メディア: ペーパーバック
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語りかけるスタイルのため冗長に感じることもあるのですが、完全に1人で学びたい場合には良いと思います。巻末にAnalytical Table of Contentsという、小見出し単位の目次がついていて、これを読むだけでもだいたいの内容が分かるのも便利です。一部を紹介します。

1. DON'T BARGAIN OVER POSITIONS

Arguing over positions produces unwise agreements
Arguing over positions is inefficient
Arguing over positions endangers an ongoing relationship
When there are many parties, positional bargaining is even worse

日本語翻訳は「ハーバード流交渉術」というタイトルでいくつか出版されているのですが、全体的な意味が分かりにくい箇所があるのであまりおすすめしません。
なお、これは翻訳が悪いというより、原書が翻訳しにくい英語だからです(たとえば第1章ではpositionとinterestという2つの語を、「表面的な主張」と「隠された関心」という対立する意味で繰返し用いているが、この2つの概念を一言で表わす日本語は、なかなか思いつかない)。