アメリカの大学教科書のススメ

今まで知らなかった分野に興味を持ったときには、アメリカの大学レベルの教科書を買ってしまうのがおススメです。

教科書といっても、ISBNが付いた一般に販売されている出版物なのですが、大学の授業で教科書として指定されるような本は、共通の傾向があります。この記事では、その傾向と、おススメ理由を紹介します。

なお、自分の観測範囲がアメリカの大学中心で他の英語圏や、その他の国の事情が分からないため、「アメリカの大学の教科書」という表現にしています。

この記事では脚注を多用していますが、論拠のトレーサビリティ確保が目的ですので、通常は、無視して読んでいただく方が読みやすいと思います。

アメリカの大学教科書の特長

「アメリカ 大学 教科書」というキーワードでWeb検索すると、

  • 高い
  • かさばる
  • 重い

などの否定的な声が多く見られます。*1*2*3

また、US Amazonのレビューを見ても、指定教科書として買わされている学生が多いがゆえに否定的な声が多い印象を受けます。自分も留学中に何冊も買いましたが、他に読むべき課題が膨大なことなどもあって、結局ロクに読まないまま処分するハメに陥ったので、そういう感想が出ることもよく理解できます。

大きさについては、写真をどうぞ。右側2冊が、この記事で紹介する教科書です。比較のために、すべての本を奥に押し込んであります。写真真ん中にある文庫や新書に比べると、その大きさが分かると思います。

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アメリカの大学の教科書のサイズ感

しかしアメリカの大学の教科書には、日本の多くの教科書と違う、以下のような特長があります。

  • その分野の基本知識が、一通りかたっぱし、独習可能なレベルの詳しさで書かれている。
  • 本全体や章ごとのイントロとして、その分野や章で扱うトピックの背景や位置付けが明示されている。

「基本知識」というのは、その分野の専門家の間で、おおむね常識として決着したような内容で、感覚的には「20年ぐらい前の最先端」です。古いと思うかもしれませんが、高校レベルの教科書は、おおむね100年前の内容なので(たとえば物理の場合、ニュートン力学は詳しく解説されるが、相対論はちょこっと出てくるだけ)、そこから最近の議論を理解するまでのつなぎとしてちょうど良いところです。

また、授業で教師が補足するようなことも含めて「かたっぱし」書かれているので独習も可能です。ある程度分かっている人には「当たり前のことが多くてくどい」と評価されることもありますが、「ここに書かれていることは、当たり前のこととして業界内に通じる」ということが確認できるというメリットがあります。

イントロにある「背景や位置付け」ですが、学問は分野ごとにきれいに独立しているわけではないので、そもそもなぜその分野が研究されてきたのかや、他の分野との関係、などは、特に教科書の先に進むときに重要になります。たいてい、学習初期に読んだときには理解できないのですが、ふと気になったときにいつでも参照できるよう「書かれている」のが良い点です。

なお、たいていの教科書には、International版として本国の半値程度のバージョンが出ています。アメリカ国内では買えないのですが、日本からは問題なく購入可能です。International版は表紙がハードカバーではないなど、多少のコスト削減が図られていますが、個人的にはハードカバーよりソフトカバーの方が読みやすいと思うので問題ありません。

具体例として、マクロ経済学と、データベースの教科書を紹介します。

Charles Jones "Macroeconomics (International 4th. ed.)"

[isbn:978-0393615333:detail]

Stanford大学ビジネススクールの教授が書いたマクロ経済学の教科書です*4。 マクロ経済学の教科書としては、マンキューが書いたものがよく知られているようですが、比較的新しい(初版が2008年)こちらが、目次を見た感じすっきりしていたのでこちらにしました。

自分がこの教科書を買ったきっかけは、最近読んだ「資本の世界史」という本で、以下2つの一見矛盾する記述を見たことです。

  • 「産業革命がイギリスで起きたのは、イギリスの賃金が高かったから。イノベーションは賃金の高いところで起こる」
  • 「オイルショック後のドイツの問題は、労働組合が高い賃金に固執したこと」

「資本の世界史」は全体的にしっかりとした経済学の知識を踏まえて書かれている印象を受けるので、この1点だけが誤っているというのは違和感がありました。また、以前から金利とかマネーサプライなどの議論は、専門知識を踏まえたものから思い付きレベルのものまで混ざっているような気がしていたこともあり、この機会に「専門家の常識」を確認するべく、購入しました。

目次は以下の通りで、期待した通り、一通りかたっぱし書かれています。

Part I: Preliminaries
Chapter 1: Introduction to Macroeconomics
Chapter 2: Measuring the Macroeconomy
Part II: The Long Run
Chapter 3: An Overview of Long-Run Economic Growth
Chapter 4: A Model of Production
Chapter 5: The Solow Growth Model
Chapter 6: Growth and Ideas
Chapter 7: The Labor Market, Wages, and Unemployment
Chapter 8: Inflation
Part III: The Short Run
Chapter 9: An Introduction to the Short Run
Chapter 10: The Great Recession: A First Look
Chapter 11: The IS Curve
Chapter 12: Monetary Policy and the Phillips Curve
Chapter 13: Stabilization Policy and the AS/AD Framework
Chapter 14: The Great Recession and the Short-Run Model
Chapter 15: DSGE Models: The Frontier of Business Cycle Research
Part IV: Applications
Chapter 16: Consumption
Chapter 17: Investment
Chapter 18: The Government and the Macroeconomy
Chapter 19: International Trade
Chapter 20: Exchange Rates and International Finance
Chapter 21: Parting Thoughts

コツコツと改訂されていて、Great Recession(サブプライム・ローン問題の頃からの不景気)の分析や、比較的新しいDSGEモデルの紹介なども出てきます。また、2018年のノーベル記念経済学賞を受賞したPaul Romerのモデルも解説されています*5。 先進各国の医療支出増大についての解説もあります*6

イントロとしては、たとえば以下のようなことが書かれています。

  • マクロ経済学とは、人や企業の集合に関する学問であり、それらが市場を通じて、国全体の経済活動にどう影響するかを扱うこと*7
  • マクロ経済学で扱う疑問の例。なぜ現代のアメリカ人は、100年前のアメリカ人の10倍豊かなのか等*8
  • マクロ経済学の基本的なアプローチ手順。(1)事実を書き起こし、(2)モデルを作成し、(3)モデルと事実の比較を行い、(4)モデルを用いて新たな予測を行なう。*9

また、各章のイントロで、それぞれの章の背景(英語でmotivationといわれるような内容)が簡潔に書かれています。

他にもいろいろ丁寧に書かれているのですが、この記事は、マクロ経済学自体を紹介したいわけではないので割愛します。

(2019/4/3追記)
この記事の読者から、「そもそもの、高賃金の良し悪しの話が経済学的に矛盾しているのではないかという、当初の疑問は解決したのか」と聞かれました。この教科書のおかげで解決しました。マクロ経済学では、long-termとshort-termの事象は分離して議論されており、産業革命はlong-termの事象、オイルショック後のドイツの賃金の件はshort-termの事象と理解すれば良いようです。

Ramakrishnan, Gehrke "Database Management Systems (International 3rd. ed.)"

[isbn:978-0071231510:detail]

最近、自分のかつてのGPSログをSQLでいじっていて*10、正規化とか関係代数をきっちり確認したいと思って選んだものです。MITのCSの授業で使われているようです*11

データベースの教科書は他にも何冊かあって、そちらの方が最近の改訂なのですが、目次やサンプルを見る限り、自分が一番興味のある関係代数についてのフォーマルな記述が充実していたので、2002年の本ながらこちらを選定しました。

目次は以下の通りで、こちらも「一通りかたっぱし」という感じです。個人的には、オブジェクト指向DBの章や、データマイニングの章も、知識の再確認に役立ちました。

Part I: Foundations
1 Overview of Database Systems
2 Introduction to Database Design
3 The Relational Model
4 Relational Algebra and Calculus
5 SQL: Queries, Constraints, Triggers
Part II: Application Development
6 Database Application Development
7 Internet Applications
Part III: Storage and Indexing
8 Overview of Storage and Indexing
9 Storing Data: Disks and Files
10 Tree-Structured Indexing
11 Hash-Based Indexing
Part IV: Query Evaluation
12 Overview of Query Evaluation
13 External Sorting
14 Evaluating Relational Operators
15 A Typical Relational Query Optimizer
Part V: Transaction Management
16 Overview of Transaction Management
17 Concurrency Control
18 Crash Recovery
Part VI: Database Design and Tuning
19 Schema Refinement and Normal Forms
20 Physical Database Design and Tuning
21 Security and Authorization
Part VII: Additional Topics
22 Parallel and Distributed Databases
23 Object-Database Systems
24 Deductive Databases
25 Data Warehousing and Decision Support
26 Data Mining
27 Information Retrieval and XML Data
28 Spatial Data Management
29 Further Reading
30 The Minibase Software

イントロとしては、たとえば以下のようなことが書かれています。

  • 独立したDBMSを利用するメリットには、Data Independence, Data Integrity, Concurrent Accessなどがある*12
  • データモデルとは、低層のストレージのあれこれを隠ぺいする、高位のデータ記述である*13
  • ERデータモデルとは、実世界の企業体を、オブジェクトとその関係として記述するものである*14
  • Relational Algebraと、Relational Calculusは、リレーショナルモデルの問合せ言語のうち、フォーマルなものである*15

記述は、SQLをある程度知っていれば独学可能なレベルです*16。本来の関係代数における「リレーション」は、重複が許されない「集合」なのですが(この点がSQLのテーブルと異なる)、そういうことも適宜補足されていて、SQLの実践と理論の橋渡しもちゃんと配慮されています。

気になる厚さは冒頭の写真(右から2冊目)を見ての通り、かなりのもので、1100ページ程度あります。

なお、この記事の主旨とは外れますが、他に検討した本を挙げておきます。

  • "Fundamentals of Database Systems (Global Edition)", Ramez Elmasri, Shamkant B. Navathe
    フォーマルでない記述が多いため見送り。
  • "Database Systems: Pearson New International Edition: The Complete Book", Hector Garcia-Molina
    StanfordのCSで使われている。白黒のみで飽きそうなため見送り(結局、購入した本もインターナショナル版だったために白黒なのですが)。
  • "Database System Concepts", Silberschatz
    7th.が2019/2に発売されたばかりなのですが、関係代数の記述がほとんどないため見送り。

日本語話者にとっての副次的効果

日本語話者が、こういう教科書を英語で読むと、「その分野の基本的概念の英語表現が、網羅的に理解できる」というのも大きな効果です。これをやっておくと、その分野についてさらに学習するときの文献検索が大いに楽になります。また、英語で文章を書くときにも、その分野の単語や表現が大量に必要になるので役立ちます。

私もいまだに、英語を読むのは母語の日本語より大変なのですが(感覚的に3~5倍の時間がかかる)、「その先の段階が楽になる」という効果が大きいため、可能な限り英語で文献を読むようにしています。

教科書の探し方

教科書の探し方で一番確実なのは、アメリカの大学の各授業の、シラバス(syllabus)を読むことです。特にアクセス制限もなく公開されていることが結構あります*17。授業を担当している教授の個人サイトに載っていたりすることもあります。

もう少し具体的には、以下のような方法を取っています。

  • 知りたい分野の大学ランキングを探す("computer science ranking"とかですぐ出てくる)
  • ランキング上位の大学の、当該学部のサイトを探す
  • 各学部のサイトで、授業の一覧を探す("course listing"などとなっている)
  • 知りたいことに該当する科目名を探す。たいていの場合、その分野の基礎科目なので、科目番号100番台などになってることが多いです。
  • その科目のシラバスを探す(大学名、科目名、syllabusで検索すればたいてい出てくる)
  • シラバス中の指定教科書の記述を探す

2020/2/23追記

記事を書いたあとに、大量のシラバスを収集して、教科書のリストを公開しているサイトを見付けました。分野ごとに絞り込んだりできるので便利です。

https://opensyllabus.org/

ただし、シラバスで指定されている本は片っ端リストに入っているようで、「教科書」といえないような本もたくさん出てきます。最終的に購入するものを選ぶときには、他の情報源と併用する必要があります。

*1:https://forbesjapan.com/articles/detail/7957

*2:https://gigazine.net/news/20140413-textbook-skyrocketing-price/

*3:https://smartandresponsible.com/blog/textbook/

*4:https://www.gsb.stanford.edu/faculty-research/faculty/chad-jones

*5:6.3 The Romer Model

*6:18.6 The Fiscal Problem of the Twenty-First Century

*7:1.1 What is Macroeconomics?

*8:1.1 What is Macroeconomics?

*9:1.2 How Macroeconomics Studies Key Qustions

*10:https://casualstartup.hatenablog.jp/entry/20190301/timestamp_as_m_value

*11:https://ocw.mit.edu/courses/electrical-engineering-and-computer-science/6-830-database-systems-fall-2010/syllabus/

*12:1.4 Advantages of a DBMS

*13:1.5 Describing and Storing Data in a DBMS

*14:2 Introduction to Database Design

*15:4 Relational Algebra and Calculus

*16:SQLをまったく知らない人は、適当な入門書を見てSQLiteで実際にSQLをたたいてみてからの方が良いと思います

*17:この記事を書きながら、久しぶりにビジネススクール各校のサイトを見てみたら、シラバスが公開されているところが減った気がしますが