資本集約の時代から、知識集約の時代に
前回の「その経費削減、人材の無駄遣いじゃないですか?」を書いてから、いくつかの本を読んで考えていたのですが、これは実は時代の転換点なのでは、と思うようになってきました。たとえば、下記の本の第2章冒頭のサブタイトルは「労働集約型から設備(資本)集約型、そして知識集約型産業へ」という、ずばりなものになっています。
- 作者: 冨山和彦
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2010/08/20
- メディア: 単行本
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これら3段階の産業は、それぞれ以下のような性質を持ちます。
- 労働集約
- 組み立て・縫製など、比較的単純ではあるが、多くの人手(労働力)が必要な産業。
- 設備(資本)集約
- 鉄鋼のように、大規模な生産設備(およびそれを調達する資金)が必要な産業。
- 知識集約
- ソフトウェアのように、労働者の高度な知識・知恵が必要な産業。
資本集約的な産業では、労働者は設備がないと働くことができません。たとえば、熟練の鉄鋼製造技術者がいたとして、その技術は、巨大な溶鉱炉があってこそ、生きてきます。したがって、労働者は設備に従属する関係になります。
この本に「株主が会社を所有し、経営者は株主に雇われ(所有と経営の分離)、従業員は基本的に代替可能な労働力と位置づけられる」(p.54)と書かれる状態です。しかし、この状況は、以下のように変化してきます。
お金を集める仕組みはどんどん発達し、また先進国経済の成熟化は金余り傾向を生み出す。するとお金の希少性も機械設備の希少性も薄れてくる。むしろ知識人材(または知識集積力のある人材集団)の方が希少となり、設備の方はより代替的になる。
「カイシャ維新」(p.55)
自分がいるソフトウェア産業は、必要な設備といっても、とりあえずパソコン1台と机と椅子ぐらいで20万円程度と少なく、こういう変化の最先端の1つだと感じます。
知識集約の時代には資本(カネ)の使い方が変わる
さて、知識集約産業では、従業員の持つ知識・知恵がもっとも重要なので、資本は知識を持った従業員を定着させ、より効率的に知恵を出してもらうために使うべきです。具体的には、以下のような使い道が考えられます。
- 社員食堂や社内スポーツジムを従業員に格安で提供する。
- 従業員が利用する書籍代や安価なソフトウェアは、自動的に会社負担とする。
- 従業員の就業環境を快適にする(知恵を出しやすいようにする)設備を会社負担とする。たとえば、2台目のディスプレイ、快適な椅子など。自分がかつて在籍した電機メーカーでは、10年以上使われて弾力がほとんどなくなった椅子を使っていましたが…。
Googleなどの新興インターネット企業は、こういう資本の使い方をしているように見えます。その一方で、日本の伝統的大手企業などは、設備集約的な考え方が根付いてしまっているために、業績が悪くなると従業員にかけるカネを削ることが多そうです。
もちろん、ない袖は振れないので、これから起業して経営者となる身としては、非常に悩ましいところです。