MBA留学を経て転職(31〜33歳)

MBA学生の就職活動

自分自身のキャリアを模索するため、また、アメリカ企業がMBA学生をどう活用しているかを学び自社に活かすために、自分も現地の就職活動をやってみることにしました。その中で、アメリカのMBA学生の一般的な就職活動、というものがなんとなく見えてきたのですが、想像していたのと少々違いました。

入学するとすぐに、授業と並行して、職務経歴書(resume)の書き方や、面接の指導が始まります。卒業は約2年先ですが、まずは夏休みのインターン先を獲得するのが目的です。そして、しばらくすると、MBAを一括採用している企業による、会社説明会が開催されます。多いときには1日に2,3社はあったでしょうか。

自分は、金融系とコンサルティング系の仕事には興味がなかったので、事業会社の説明会にいろいろ出席しました。事業会社でのMBA採用は、マーケティング職か、マネージメント職が中心ですが、多くの企業がLDP(Leadership Development Program。リーダーシップ開発プログラム)というエリート採用のようなことをしています。

当初、このLDPに興味津々だったのですが、実際に聞いてみると、MBA新卒を一括大量採用(会社によっては毎年100人近く)して、6ヶ月から1年ぐらいの周期で3つぐらいの部署をローテーションで経験し、その後マネージャになる、というもので、日本の大企業の文系新卒採用と大して変わりません。

日本よりローテーションの周期が短い印象を受けるかもしれませんが、MBAは数年働いた後に入るものなので、大学新卒よりも年齢が高いことを考えれば似たようなものです。また、マネージャというのも、現在のアメリカでは肩書きのインフレが進んでいるので、日本の係長程度という印象です。

会社説明会に来るのは採用専門の部署が多く、企業文化や職場の雰囲気など抽象的な説明中心で、具体的な業務は、結局配属次第という感じです。こういうポジションに、学生は志望理由を準備し、Cover Letterという日本のエントリーシートのようなものを書き、面接の練習を重ねて応募します。面接では、コミュニケーションスキルが重視され、課外活動でのリーダーシップも重要です。さらに、学生たちの人気企業はこういう感じで、有名企業が並びます。

自分は、MBA学生の平均より長い、7年という職歴を持っていたので、こういう就職には興味が持てず、独自にキャリアを模索することにしました。

なお、ここに書いた内容は2005年頃の、デューク大学というアメリカでだいたいTop 10と言われるMBAコースで、自分が個人的に感じたことであることを申し添えておきます。

アメリカでのキャリア模索

留学する前からずっと、自分のソフトウェアエンジニアとしての職務経験と、MBAで学んだマネージメント知識を活かしながら、ビジネスマンとして自分を鍛えることのできそうな場はどこだろう、と模索していました。

入学当初は、派遣元の電機メーカーでMBAで学んだことをどう活かすか、という点を模索していたのですが、だんだんとアメリカで就職した方が、より有効に活用できるのではと思うようになりました。

しかし、デューク大学のある地域(東南部)には、自分がやりたいIT系の企業はあまりありません。そこで、夏休みなどの長い休みを利用して、シリコンバレーにのべ2週間ほど滞在し、自社のシリコンバレーオフィス訪問や、他の会社見学、その他ベンチャー企業訪問などをしました。

並行して、派遣元の部署で自分の学んだことを活かすポジションを模索するために、定期的に学んだことを報告するなどしていました。

最終的に、自分の場合、アメリカではまずエンジニア職に入って、マネジメント職にシフトするのが現実的なキャリアであること、ただしそれは困難で時間もかかること、などが分かってきたため、卒業ぎりぎりまで迷いましたが、日本に帰国することにしました。

帰国してからの転職活動

日本に帰国してからも引き続き、自分を一番鍛えられる場はどこだろう、ということを軸に、そのまま職場に残ることも含めて模索しました。

その一環で、転職エージェントから紹介される会社にいろいろ応募していたのですが、最終的に、成長中の事業会社で、手を挙げれば色々なことを経験できそうなところからオファーをもらうことができました。

会社派遣で留学した身ですので、転職するとなると金銭的には大変です。しかし、30代半ばというキャリアの伸び盛りの時期に、仕事を通じて自分をできる限り鍛えなければ、という焦りと使命感が混ざったような気持ちから、最終的に転職することにしました。

会社には「このままこの会社にいるよりも、もっと社会の役に立つ人間になります」と少々生意気なことを言って退職したのですが、その後も、当時の部署から飲み会などに呼んでいただき、交流が続いているのはうれしい限りです。