電機メーカーに入社するまで(〜24歳)

まずは、今までどんなことを考えながらすごしてきたのかを、何回かに分けて書いてみます。

パソコン少年、電機メーカーへ

プロフィールにある通り、小学生の頃からパソコン(ちなみに機種はFM-7)を使ってはいたものの、雑誌に載っているBASICプログラムを打ち込んだり、バイナリエディタでゲームのデータを書き換えるといった使い方しかしておらず、プログラミングについては、たいしたものを作ったことがありませんでした。ただ、なぜかずっと、パソコンとかソフトウェアといったものが好きだったので、電気とか電子と名のつく学科に行きたいと思い高校では理系クラスを選択し、大学に入ってからは情報工学を専攻しました。

大学3年生で研究室に配属されると、ほぼ自由に使えるUNIXワークステーションがありました。そこで、当時急速に広がり始めたWWWを使ってネットサーフィンしたり(ブラウザはMosaicでした)、フリーウェアをmakeしたり(IRIXというマイナーなOSだったので苦労しました)、環境設定に凝るなどして遊んでいました。

そのまま大学院まで行ったのですが、研究よりもビジネスに関わりたいと感じ、就職することにしました。自分の頃は、学校推薦で就職するのが当たり前だったのですが、ふと「流されるままに推薦で決めてしまっていいのだろうか」と思い、理系を採用している商社の説明会に行ったり、外資系メーカーの面接を受けたりしたものの、やはり大手電機メーカーがしっかり勉強しながら成長できそう、と感じて、学校推薦で入社しました。

英語学習について

MBA留学なんてしているので、今でこそ英語はそれなりにできるようになりましたが、もともとは日本生まれの日本育ちで、中学に入ってから学校で英語を習うのがはじめての英語学習、というごく普通の子供でした。学校の授業もなんとなく受けて、定期試験の前だけ勉強する程度でした。しかし、高校2年の夏休みに、初めての海外旅行でアメリカに行き、英語に取り組む姿勢を大きく変えました。

この旅行中、ニューヨークのデリで朝食のサンドイッチを買おうとしていたときのことですが、そのあたりを掃除していた若い店員が何か英語で声をかけてきました。それがまったく聞き取れなかったので、"Pardon?"と4回聞き返したのですがそれでも分からず、とうとう相手があきらめて身振りでどれにするか聞いてきました。その後、なんとかサンドイッチを手に入れてホテルに戻ってしばらく考えていたとき、突然、"May I help you?"と言われていたのだと気づきました。

これはショックでした。マジメに取り組んでいなかったとはいえ、5年近く週6時間、学校で英語を勉強してきたのに、自分は"May I help you?"すら聞き取れないのか、いったい何をやってきたのかと、愕然としました。

もう1つ感じたのは、旅行するのは楽しいけれど、現地の人と英語で話ができたらもっと楽しく、世界も広がるだろう、ということです。

この経験から、日本に帰国後は、英語の授業をとことんやりとげようと心に決め、授業の前に全文の日本語訳を準備する、音声カード(正式名称はなんでしょう? 厚紙にカセットテープのようなものを貼ったもの)を使った聞き取り練習を毎晩するなど、一転してマジメに英語に取り組むようになり、大学受験する頃にはそれなりに得意科目になっていました。

その後さらに、大学時代に1ヶ月ほどアメリカでホームステイをしたり、大学院時代には週2回英会話学校に通うなどした結果、就職時点で初めて受けたTOEICの点数は、たしか750点程度にはなっていました。

振り返ってみて

起業しようと考えている今、この頃のことを振り返ってみると、以下の点は良かったと思います。

  • 理系を選択したこと。経営において、きちんと数字が読める能力はとても重要。社会人になってみると、できない人が意外と多い。
  • 英語の勉強をしておいたこと。語学の習得は本当に時間がかかる。社会人になると時間がなくて、大幅な英語力向上は難しい。
  • プログラミングの勉強をしたこと。プログラミングには向き不向きがある。自分にはなんとなく向いていると分かった上で就職先を選べた。

もし、若い方が読んでいたら参考にしていただければ、と思います。